1. 学校創立から第二次大戦終了まで
昭和4年 民國18年 (1929年) |
東京府小石川区指ヶ谷町7番地、中華聖公会旧址に開校。 名称「東京華僑学校」、講堂一所のみ。学生数20餘人。 校董・羅翼群等5人。名誉校長・山井格太郎。校長・傅代言 |
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昭和5年 民國19年 (1930年) |
2月 成人僑胞補習班を開辧。学生22人。 10月 東京府政府より認可を取得。 |
昭和6年 民國20年 (1931年) |
中華民国(国民政府)教育部に設立認可。 |
昭和7年 民國21年 (1932年) |
東京府神田区神保町10番地・中華留日基督青年会内の3間を借用し移転。生徒10餘人。 918事件の発生による帰国者増加のため、校務が中断。 |
昭和10年 民國24年 (1935年) |
1月 学校校舎設立の為、募金開始。 4月 高級部(小学)第1届卒業生2名。 9月 豊島区長崎南町1丁目1801番地を購入し、校舎建設開始。 12月 校舎落成。運動場、大禮堂のほか、教室・事務所・計13室。 |
昭和11年 民國25年 (1936年) |
2月 教科書がすべて東京府に没収される。 3月 校名を「東京華僑小学校」に改名。 高級部(小学)第1届卒業生4名。 |
昭和12年 民國26年 (1937年) |
7月 中日戦争勃発。教員帰国により学校閉鎖。 |
昭和20年 民國34年 (1945年) |
5月 校舎が爆撃により焼失。 |
*戦時中、中央区の昭和小学校を借用し「東亜興亜学院」と称して、中国語による授業を行っていたとの情報があるが、どのように行われていたかについての確認はできていない。又、戦時中、教科書についての日本政府による干渉などは有ったが、中国語教育(当時は支那語あるいは満語などと称された)は禁止されていたわけではなく、戦前、本校が閉鎖を余儀なくされたのは、教員の多くが帰国したことなどにより、運営が困難になったためと推測される。 |
2. 第二次大戦後の復興
昭和21年 民國35年 (1946年) |
6月 東京華僑聯合会の成立後、中央区の昭和小学校校舎を借用し復校、校名を「東京中華学校」に改名。 名誉校長・包象寅、校長・陳文瀾。学生160名・年齢別4クラス。 9月 東京華僑聯合会(会長:陳禮桂)より曹嘉修等7人が学校董に推薦され、曹嘉修氏が董事長、校長に包象寅が就任した。又、昭和小学校からの移転に備え、学校建設のための用地取得を計画し、用地取得の作業と寄付募金を曹嘉修董事長の下に開始した。現行の千代田区五番町の本校用地の取得および学校校舎建設に要した資金は、豊島区南長崎の旧学校用地の売却資金に加え、華僑各界からの浄財寄付並びに中華民国駐日代表部の補助によりなされている。 9月 中国語教育を習熟度別に5クラスとし、正式に「小学部」となる。 |
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昭和22年 民國36年 (1947年) |
6月 中華民国駐日代表部より、中華民国僑務委員会より僑民学校立案証明を受領。 9月 小学部6学年編成となる。 10月 中華民国駐日代表部僑務處に初級中学校の開校を申請。 |
昭和23年 民國37年 (1948年) |
1月 東京都千代田区五番町14番地1の土地を購入。 7月 小学部第一届卒業生27名。 10月 千代田区五番町14番地の校舎落成し、移転。 |
昭和24年 民國38年 (1949年) |
2月 校長に梁次如、包象寅は名誉校長に就任。 11月 包象寅が校長に復職、高維先を副校長に任命。 董事長・鄭勇昌、副董事長・周祥賡。曹嘉修ほか3人は顧問となる。 |
昭和25年 民國39年 (1950年) |
7月 初中部第一届卒業生15名。 小学部第三届卒業生33名。 9月 高維先が校長に就任。 |
昭和26年 民國40年 (1951年) |
6月 日本政府より「財団法人東京中華学校」が認可される。 財団法人申請代表者は周祥賡。 |
昭和28年 民國42年 (1953年) |
4月 日本の学校制度に合わせ、新学年開始月を4月に改訂。 10月 楊名時が校長に就任。 |
昭和29年 民國43年 (1954年) |
4月 新教室4室の増築開始。 12月 新教室4室が竣工。 |
昭和31年 民國45年 (1956年) |
12月 董事会改組、張和祥理事長、薛國樑副理事長就任。 臧廣恩が校長に就任。 |
昭和32年 民國46年 (1957年) |
5月 和祥堂、及び教室二階部分建設開始。 10月 和祥堂、及び教室二階部分増築落成。 12月 第二期新築校舎建設開始。 |
昭和33年 民國47年 (1958年) |
7月 第二期新築校舎落成。 9月 新校舎落成落成式典。 |
昭和34年 民國48年 (1959年) |
5月 羅長闓が校長に就任。 12月 董事会を評議員会に改組。張和祥理事長に連任。 |
昭和39年 民國53年 (1964年) |
李合珠寄贈プ-ル「合珠池」完成。 |
昭和54年 民國68年 (1979年) |
6月 李政義が校長に就任。 |
昭和58年 民國72年 (1983年) |
7月 新校舎・体育館建築開始。 |
昭和59年 民國73年 (1984年) |
11月 新校舎・体育館・国際中正会館落成式典。 |
昭和60年 民國74年 (1985年) |
7月 新校舎屋上プール完成。 |
昭和62年 民國76年 (1987年) |
11月 張建國理事長に就任。 |
平成2年 民國79年 (1990年) |
9月 曲平が校長に就任。 |
平成8年 民國85年 (1996年) |
3月 郭東榮が校長に就任。 |
平成11年 民國88年 (1999年) |
4月 薛國樑が理事長に就任。 |
平成12年 民國89年 (2000年) |
5月 薛國樑死去により、長江啓泰が理事長に就任。 |
平成14年 民國91年 (2002年) |
4月 陳哲燦が校長に就任。 |
平成17年 民國94年 (2005年) |
4月 蔡月華が校長に就任。 5月 吉田潔史が理事長に就任。 |
平成19年 民國96年 (2007年) |
10月 張建國を設立発起人代表として東京都に学校法人認可申請。 |
平成20年 民國97年 (2008年) |
4月 劉劍城が校長に就任。 10月 学校法人東京中華學校が東京都より認可。 |
平成21年 民國98年 (2009年) |
創校80周年紀念。 |
平成22年 民國99年 (2010年) |
5月 当校が正式に日本の文部科学省の定める就学支援金の支給対象校として本校が指定されました。 5月 嵯峨 建民が理事長に就任。 |