演奏はマスク着用、ブラボーは禁止――。新型コロナウイルスの感染拡大で、活動を停止していたオーケストラや音楽ホールが動き出している。公演には「3密」の回避が必須。リスクの軽減と生の音楽を楽しむ文化をどう両立させるのか。立ちはだかる課題を前に、現場の手探りも始まった。(記事)
オンライン就活に不安
来春卒業見込みの大学生らを対象とした企業の採用面接が今月から本格化した。だが、新型コロナウイルスの感染拡大で群馬県内の就職活動も様変わり。学生側も企業側も、オンラインの画面越しにじりじりしている。(記事)
緊急事態宣言で子供の心身に悪影響
新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言や外出自粛によって、0~6歳の乳幼児を持つ保護者の60%が、子どもに「体力の低下」「大人から離れたがらない」など心身に何らかの気になる変化があったと回答したとのアンケート結果を全国認定こども園協会が10日までにまとめた。保護者自身も74%が子育て…(記事)
早稲田の商店街にエール
早稲田大学応援部で女性初のリーダーを務めた木暮美季さん(27)が、長引くコロナ禍に苦しむ母校周辺の商店街を応援するプロジェクトを立ちあげた。卒業生向けに、思い出の店への支援金をネットで募る試みで、「学生街の風景を守るため、精いっぱい支援を集めたい」と気合十分だ。(記事)
恋愛サーキュレーション
https://www.youtube.com/watch?v=JnR63_EWw6A
以前にクラリネット奏者の千花音さんの紹介で「恋愛サーキュレーション」という楽曲のクラリネット演奏をご紹介しました。
「恋愛サーキュレーション」はアニメ「化物語」10話のOPに使用された曲です。
「化物語」に登場する「千石撫子」という少女的キャラクターのイメージソングとも言うべき内容で、歌っているのは撫子役の花澤香菜さんです。
放映当時、可愛らしいOP映像と重ねられて、その「破壊力は甚大であり、多くのお兄ちゃんファンを生み出す事になった」とネットでは伝えられています。
よくわからないのですが、すごいですね。
https://www.youtube.com/watch?v=gEzQapdWoPc
花澤香菜さんは中国でもこの楽曲を歌っています。やはり「せーのっ!」で始まるんですね。
このクラリネット五重奏も良いと思います。やはり「せーのっ!」で始まるんですね。
出だしは大切ってことです。
正しく理解し社会貢献 デジタルシチズンシップ教育
正しく理解し社会貢献 デジタルシチズンシップ教育(日経新聞)
スマートフォンやインターネットなど情報ツールの特性を生かし、社会に役立つ方法を考える「デジタルシチズンシップ教育」が広がってきた。ネット上のトラブルを恐れて自由な学びを制限するのではなく、適切な安全対策を取りつつ、子供たちの創意工夫を育む。(記事)
小学校高学年でおこなわれた災害発生時に役立つアプリの案を発表する授業が紹介されています。ネット掲示板でのいじめやSNSを通じた犯罪被害など、負の側面を伝えて警鐘を鳴らす「情報モラル教育」から、自分たちが暮らす地域や国を良くする方法を当事者意識を持って学ぶ「市民教育」の延長線上としてのデジタル教育を目指しているそうです。
皆さんもITをより実践的に人と社会に役立てる方法を学び、上手な技術との付き会い方を身に着けていきましょう。
どうなる大学入試
大学入試の実施要項が来週にも発表されるようです。
6月9日、文部科学省から新型コロナ「学びの保障」総合対策パッケージについて聞き、大学入試の扱いについても確認。
今週前半に全国高等学校長協会に依頼したアンケートの集約。今週後半に高校・大学関係者等の協議。来週にも「大学入学者選抜実施要綱」を発表したいとの事。現時点の情報は画像にて。 pic.twitter.com/fiCmS4gZyR— きいたかし(城井崇) (@kiitakashi) June 9, 2020
今年はコロナウイルスの爆発的感染やオリンピックの延期、共通テストの導入など、かなり注目度の高い年となりました。なってしまいました。。。
いろいろな問題が重なり皆さん心配事が多いかと思いますが落ち着いて向き合いましょう。皆さんの学ぶ機会を保障するため各方面が色々と調整しているようです。
具体的には感染拡大対策を取った上での学校での授業や最終学年の優先的な分散登校、教育課程の再編成などなど、様々です。
これらによって新たな混乱が生まれるかもしれませんが、冷静に捉えましょう。皆さんが不利益を被らないよう穎才学院でもサポートをしていきます。
教育にもっと予算をつけよう——日本の政府支出は低すぎる
教育にもっと予算をつけよう——日本の政府支出は低すぎる(朝日新聞)
一挙に過熱した9月入学移行の議論もやっと冷静さを取り戻したようだ。少なくともコロナ感染防止のための臨時休校で授業時間が減少した生徒に対する対応と9月入学とは全く独立に議論すべきで、その2つを混同してはならないとの考えは共有されたものと思われる。(記事)
大学の9月入学論に対し批判する文章です。留学生や大学生、高校生に対する実際のメリットが低いことを指摘しています。さらに、日本の大学教育・高等教育に対する政府支出の低さを指摘し、予算や人材の確保の制度改革を促すべきだと主張されています。
日本の経済規模に対する教育支出規模の低さはよく指摘されます。皆さんの将来の学生生活においても学費の問題は差し迫ってきます。公教育が劣化すれば、教育格差のひずみが社会問題となるでしょう。公教育の価値が正しく評価され、学生が勉学に励みやすい環境が整うことを願っています。
休校後のオンライン授業の対応
オンライン授業、課題は格差解消 大阪は今月末目標
新型コロナウイルスの感染拡大で長期休校していた多くの学校が再開して8日で1週間。感染防止の対策を取りながらの登校が続く中、感染拡大の第2波を見据えた備えとして、オンライン授業の準備が急ピッチで進む。ただ、各家庭で通信環境がまちまちだったり、教員のICT(情報通信技術)スキルに差があったりするなど課題は多い。関係者は「新しい学習様式」への対応に追われている。(木ノ下めぐみ)・・・(記事)
通信環境や教員のICTスキルなどオンライン授業には様々な問題が指摘されています。しかし、今後予測されている第二波のことを考えると、現在のオンライン授業の問題点を改善しデジタル化を進めていく必要があるのかもしれません。
羅生門2020
こんにちは、きよしです。
昨夜、芥川龍之介の「羅生門」を読み直しました。
ぼくといっしょに暮らしているなめこはぼくの部屋とは別に自室を構えています。なめこはたいてい午前0時になると自室で床に就きます。しかし、昨夜はめずらしくぼくたちが共用しているリビングのソファーベッドでなめこは寝入ってしまったようです。側のダイニングテーブルには高校の教科書がうつ伏せにしてありました。森本先生のものだと思います。手にとって見ると、伏せてあったのは教科書に載っている「羅生門」のページでした。
日本の学校では高校1年生の国語の時間に芥川龍之介の「羅生門」を教材として学ぶそうですね。
ぼくはこれまでに何度も「羅生門」を読みました。
とてもクールなお話だと思います。
「羅生門」で物語られている出来事は、衰微した平安京で生活に困窮した下人が、羅生門の2階で死体の髪をぬく老婆に出会い、その老婆を暴行して老婆の衣服を奪うという事件です。
下人は生活に困窮しています。経済的弱者と言えるでしょう。また、下人は合理的判断が苦手なようです。おそらくは言語的理性が未熟なのだと思います。下人がする判断は短絡的で、非合理的です。
老婆も同様です。
芥川による「羅生門」の語りは実に精緻かつ巧妙でそうした下人と老婆の愚かさを的確に表現しているのですが、同時にその表現は高級で美しいので読み手のいくらかは下人や老婆が愚かであるという物語的事実に気がつかないのだろうとぼくは推測しています。
「羅生門」で描かれているのは愚かな弱者が邪悪なことをするという話です。
人間はときに弱く、ときに愚かで、ときに邪悪なことをします。
それはぼくたちも同じです。ぼくたちはときに弱く、ときに愚かで、ときに邪悪なことをしていまいます。(この前、ぼくはなめこが大切に冷蔵庫にしまっていたプリンを勝手に食べてしまいました。)
また人間はときに弱くかつ愚かでかつ邪悪なのです。これもまた事実だとぼくは思います。
繰り返すのですが「羅生門」は弱くかつ愚かで邪悪な下人と老婆の話です。
人間の学校ではエゴイズムがどうのこうのという話を、この「羅生門」を教材として、しばしばするのだそうです。エゴイズムとは利己主義のことですね。
考えたり調べたりするとわかるはずですが、エゴを大切にすること事態は悪いことではありません。ただその結果、人間は邪悪なことをする場合があります。邪悪なことは悪いことです。当然ですね。しかし、エゴイスティックであるというのと邪悪であるというのは同じことではありません。これも当たり前のことだとぼくは思います。
また、邪悪だというのと愚かだというのは同じことではありません。善良だけど愚かだという場合はあり得ますし、邪悪だけど頭がまわるという場合もあり得ます。
そして、弱者は必ずしも善良ではありません。弱者は愚かであるという場合があり得ます。
こういったことはそれぞれたいていの人間が経験的に理解することなのでしょう。
しかし、その3つが揃ってしまったらどうでしょう。
それでも人間は人間です。人間的尊厳や基本的人権は愚かで邪悪な弱者にも保障されます。それが倫理や法理というものでしょう。人間からそういった尊厳や権利を引き剥がして、生身の人間のようなものについてだけ取り扱うということは人間の実世界ではできません。
芥川はそれをやってみたのだろうとぼくは思いました。
フィクションの世界で、地震や災害や飢饉などで衰微した平安京というダークワールドを設定としてこしらえ、倫理や法理のとどかない社会の闇の部分をその中につくりだしたのだと思います。
そういう知的な作業をたくみにこなし、しかもそれを美しく仕上げるというのは並大抵のことではありません。
美しく仕上げるために要る仕事に1つには、むだをそいでシンプルにするという仕事があるでしょう。
そういった仕事ができるのはクールだとぼくは思います。
ぼくにはとてもできそうにありません。